Oct 30, 2009
結婚式場を検討している彼女
私は、結婚式場など、どこでも良かった。しかし、彼女は条件があるようで、様々な結婚式枚のパンフレットを取り寄せ、なんだかんだと言いながら検討していた。私は、結婚式を挙げるに悩んでいる時間があれば、早めに日程を決定ほしいと思った。私は、自分が30歳を迎える誕生日が来る前に結婚式を挙げていきたいと考えていたのだ。10年間働いていた会社が倒産して、私は就職活動をするようになった。しかし、もう35歳だ。この未曾有の不況で35歳で事務の仕事しか経験していない私を雇う会社があるだろうか。それよりも婚活初めて永久就職を狙った方がいいのではないか。そう私は35年の春ホンファルウル始めた。
ラフェンテ代官山(渋谷区猿楽町)に3月25日、英人気ブランド「Cath Kidston(キャス・キッドソン)」のフラッグシップショップ「キャス・キッドソン代官山店」(TEL 03-3461-2620)がオープンした。運営はサンエー・インターナショナル(世田谷区)。(シブヤ経済新聞)
【画像】 淡い水色に赤のサインが特徴的な外観
旗艦店に位置付ける同店は「自己のライフスタイルのあり方を意識する」ヤングファミリー層に発信するため、代官山エリアに出店。場所は同施設1階路面で、店舗面積は80坪。店内は生活シーンをカテゴリー分けして、「自分の部屋」のように演出した。
国内限定商品として、「ロンドン柄」を使用したメッセンジャーバッグ「Washed Messenger Bag」(9,240円)、「Mini Satchel Bag」(6,090円)を扱うほか、オープン記念商品として、シリアルナンバー入りで、店舗によりカラーが異なるトートバッグにカットソーが入ったセット(代官山店はベージュ、1万3,650円、限定100個)を販売する。
店内ではフルラインを展開。各アイテムの中心価格は、バッグ=5,800円、アクセサリー=1,100円、キッチンアイテム=2,600円、バスアイテム=1,200円、トラベル用品=1,700円、コスメ=3,600円、レイングッズ=5,600円、キッズ&ベビー=2,200円ほか。
1992年に設立した同ブランドは、2002年からユナイテッドアローズ(神宮前2、以下UA)が各直営店で販売を開始。2006年からはUAが総輸入代理店の兼松繊維(品川区)からPR代行業務を受託し、同9月には代官山に国内初の単独店(猿楽町)を出店した。昨年4月に英キャス・キッドソン社の主要株主異動による資本構成変更を受け、同社との従来の合意事項に変更が生じたことから、店舗運営の終了が決定。
同12月にサンエー・インターナショナルが輸入販売権・ライセンス権を取得し、店舗展開を開始。ファッションビルやショッピングセンターを中心に出店を進める予定で、3年目には27店舗、年間売上高は50億円程度をそれぞれ目標にするほか、来年の春夏シーズンから輸入販売事業を、秋冬シーズンからライセンス事業を開始予定で、ルームウエアなどを展開する予定。
「バッグやアクセサリーのみにとらわれず、本来の意味でのライフスタイルブランドであることを発信していきたい」と同社キャス・キッドソンPR担当の加藤智春さん。初年度売り上げ目標は3億円。
営業時間は11時?20時。
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Cath Kidston
◇安らかな顔に安堵 不明の家族捜し求める肉親??仙台・若林
「せめて遺体でいいので早く会いたい」と、行方不明になった家族を求め、遺体安置所を巡る家族。ノリ養殖の復興目指し団結する島民。東日本大震災から1週間がたった3月19日から10日間、宮城県の被災地に入った。「困難は乗り越えられると前向きに考えないと」。いまだ余震が続き、不安な日々の中、前に進もうとする被災者の姿を2回に分け紹介する。【浅妻博之】
◇涙も悔しさも見せずに
「50番です。番号をお呼びしますのでお待ちください」。津波で壊滅状態となった仙台市若林区荒浜の大友竹博さん(41)は、父昇さん(74)を捜すため3月24日、遺体安置所を訪れた。自宅は海岸から200?300メートル。家族5人の中、地震当時、4人は外出し、昇さんだけが自宅にいたのか、犬の散歩をしていたらしい。4人は無事だったが、家は流され、父が行方不明になって2週間。安置所を訪れるのはこれで6回目だ。「今日こそは父に会いたい」。すがる思いで親戚とともに安置所に入る順番を待った。「せめて火葬だけでもしてあげたい」。胸の内を打ち明けてくれた。
ホワイトボードに張られた数十枚の遺体の写真の中から、大友さんは昇さんの面影を捜す。「この写真は父に似ているかもしれない」。背丈が昇さんより低い。けがをして右足に入れていた金属板もない。遺体を見せてもらったが、違う人だった。「今日も見つからなかったか……」。安置所では、変わり果てた家族に会うことができたのか、他の遺族のすすり泣く声が響き渡る。大友さんの親戚は「遺体だけでも見つかってほしい」とこぼした。その言葉は重く頭に残った。
大友さんに昇さん発見の連絡が入ったのはその翌日、25日だった。自宅から約1キロ離れた田んぼに堆積(たいせき)したがれきの中で前日遺体が発見され、財布に入っていた診察券とクレジットカードから昇さんと分かったという。母愛子さん(68)は「普段寝ているようなきれいな顔でした。本当に良かったです。ありがとうございました」と電話口から語る声はとてもうれしそうだった。遺体が見つかったこと、顔が安らかだったことを喜び、涙声になることも悔しいとの言葉もなかった。
◇ ◇
私はお礼を言われるようなことができたのか。流されて土台だけとなった自宅跡地と遺体安置所を一緒に歩き、話を聞き、思いを記事にしただけだ。そのことに無力感を感じていた。一方、「見つかりました」という言葉に、自分のことのように安堵(あんど)した。幾度となく聞いた「とにかく早く帰ってきてほしい」という思いが胸に残っていたからだ。
4月4日朝刊
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